パラン(PARENT)レポート

いつもお世話になっております。オルヴォーの村岡です。
パランの蔵出しワインが入荷してきましたので、昨年のインタービューではありますが、
2013年のFoodexに来日したパランのレポートをお送りいたします。

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ブルゴーニュ、ポマールで12代続く名門。
Domaine ParentのAnne Parentから色々なお話を伺うことが出来ました。

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Domaine Parent & Jacques Parent 12代目 Anne Parent女史(栽培・醸造担当)

ドメーヌ・パランでは数年前より徐々に段階を踏んでビオロジック栽培に取り組んできました。
2009年には100%ビオロジック栽培に転換しています。 Foodexでは取り分け完成度が高く
内側からエネルギーを放射するような果実の味わいの 2010年が印象的でした。

『ブルゴーニュでは3年、収穫量は激減しました。
私のドメーヌで言えば、2010年は40%減。 2011年は30%減。そして2012年は50%減です。
でも仕方がありません。それが自然という ものなのです。』

彼女の所有する1級畑、シャポニエールはポマールを代表する1級畑であるリュジアン・バと
地続きの優れた区画です。 2010年のシャポニエールは、彼女のワインの完成度が更に増し
たように感じました。

『スタイルは毎年、変えるようなことはしていません。それがミレジムの個性なんです。
強いて言うのならば、ビオロジックに転換したことによってブドウの品質はこれまで以上に
向上したのかもしれません。』

希少ワインとなるコルトン・ブランも凝縮度が高く、芯がある威風堂々とした味わいです。
コルトンの丘の特級ワインと言えばコルトン・シャルルマーニュが思い浮かびます。

『私たちのコルトン・ブランの区画はラドワ・セリニー側Le Rognet(ル・ロニエ)という区画に
あります。コルトン・シャルルマーニュの名前でリリースすることも可能ですが、私たちは、
これはやはりコルトンの白としてのテロワールワインと考えています。』

知名度の高いコルトン・シャルルマーニュ名義ではなく、敢えてコルトン・ブランとしてリリ
ースする心意気は共感します。

『私のコルトン・ブランは樽発酵、新樽100%で熟成させます。でも樽の香りが強く感じ
ないでしょう?樽の使い方を工夫して、新樽の香りが付き過ぎないようにしているのです。』

身振り手振りを交えながら、アンヌ女史は熱を込めてすべてのワインに説明をしてくれます。
今でこそ珍しくない女性ヴィニュロンですが、アンヌ女史がこの世界に身をゆだねたきっかけは
何だったのでしょう。彼女のルーツについて尋ねてみることにしました。

(自称)1998年3月27日生まれ(生まれ年はご想像にお任せします)

『ワインとしては恵まれない年に生まれました。
私は3人兄妹でしたが、兄が55年、 妹が60年。 3人ともワインとしてはあまり恵まれ
た年に生まれていません。 父、ジャックは、ブルゴーニュ全ての幸運を子供達に与え
たんだと言っています。』

アンヌさんのワイン造りのルーツはどのような道程だったのでしょうか?
『私は、6~7歳の小さい頃から父親の後にくっついて畑に行くことがとても好きでした。
でも私は女性でしたから、兄がワインの仕事を継ぐものと育てられてきました。
(当時のブルゴーニュは現在のように女性のヴィニュロンはほとんどいなかった) 大学
を 卒業した後、企業でマーケティングやコンサルタントの仕事をしていました。
実はある大手 ネゴシアンのマーケティングを手伝っていたこともあるんですよ。』

現在、アンヌ女史はブルゴーニュ委員会(BIVB)の広報委員会長を任され、
また2000年 にはLes Femmeset Vin de Bourgogneという ブルゴーニュ女性醸造家
の会の発起人 として立ち上げていることは彼女の社会人としてのキャリアと無関係で
はないでしょう。

『転機が訪れたのは、私が40歳の時でした。 兄フランソワがA.F.グロ家に婿入りして
しまい、ドメーヌ・パランを継承維持することが出来なくなってしまいました。
ドメーヌを 売却するという話もあったのですが、私はそこから一念発起しブルゴーニュ
の大学に 入学し直して一から醸造学を学んだのです。』

正直、驚きました。 彼女の造るワインの味わいは、重心が座っていて芯がある、
ブレのないスタイルで一朝一夕で出来るものではないと思っていました。

『だから私自身のワイン造りのキャリアは決して長いものではありません。
私は父にも、兄にもワイン造りは教わらなかったのです。 その代わりに沢山の
ワイン を繰り返し、繰り返し試飲してはディスカッションを繰り返していきました。
その繰り返し を続けているうちに、 自分が何をやるべきか、どうすればいいかが
見えてきたのです。』

17世紀から続く名門ドメーヌを引き継ぐという重圧そして経験がない自分がやら
なくては いけないという重圧は想像もつきません。

『簡単なことだったら、やる必要がないでしょう? 困難なことだから挑戦する意味が
生まれ てくるのです。Paveという俗語があって、困難に立ち向かうという意味なんだ
けれども 私は それをいつも心に持っているのよ。』

そう言って満面の笑顔を見せてくれました。いつも元気で笑顔のアンヌ女史ですが、
そのワイン造りの背景には 並々ならぬ努力の 裏付けがあったと感じます。
胸を打たれ、勇気を貰うと同時に、彼女の ことも彼女のワインもより好きになった
ことはまた来年、 彼女に伝えたいと思います。

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